時間に追われず豊かな生き方に必要な事

「豊か」といっても、その定義は人それぞれ違います。私の豊かということのひとつとして、「時間に追われず、自分が時間を使っている」という感覚で生きられていることです。それは、言いかえれば「主体的に生きる」ということです。

若いころの私は、常に時間に追われていました。スケジュールも満タンで、忙しいことが充実している証のように感じていました。それがあたかも充実しているかのように自分も感じていましたし、相手からもそう見られたいという気持ちが、無意識のうちにあったのだと思います。

しかし、40代、50代になってきますと、「時間」の捉え方が大きく変わりました。

主体的に生きている人にとって、受動的になっている時間というのは、どこか味気なく満たされないものに感じることがあります。とはいえ、全てを主体的に行うと、時々疲れてしまう時もあります。

だからこそ、「受動的を受け入れる時間」を意図的につくることも大切であると気づきました。

受動的な時間は、主体的な時間ほど面白みはないのですが、最終責任がないぶん「楽」という意味では、本当に「楽」であり、「息抜き」として機能します。主体性、受動性のバランスを自分で選べることこそ、成熟した時間の使い方なのではないかと思います。

主体的に生きていくには、まず「やらないこと」を決めることが大切であると思っています。主体的に生きている人は、時間が有限であるということを深く理解しています。

「時間がない」と口癖のように言う人とは違い、むしろそんなことを言っている暇もないほど、やりたいことに向かって淡々と行動しています。時間は「与えられるもの」ではなく、「自分でつくるもの」だとよく知っているからです。

だからこそ、なんとなく続けていること、いわゆる惰性的に時間を使っている時間をいかに減らすかに意識を向けています。

時間がないと言っている人ほど、実は惰性的に、なんとなく時間を過ごしているように、私は感じることがあります。

豊かさを手に入れるには、「自分がなにをもって豊かと感じるのか」を明確にし、その要素を有限である時間にそれをちゃんと入れていく必要があります。ただし、ぎゅうぎゅうにスケジュールを詰め込むこともしません。豊かさを知る人は、余白の大切さも知っています。

思考と感情に余白がないと、自分の目的や夢(願望)に関する「チャンス」が来ても、気付く余裕もなく、そうすると掴めないからです。

日々の生活に追われているばかりでは、「豊かさ」を考えたり、人生をプランしていくことはできません。それは片手間には難しいからです。

『7つの習慣』にもある、「緊急でないけど重要な事」この時間が必要だということです。必要というのは、必ず要するということです。

自分でその時間が持てなかったからと諦め、私のところで一緒に考えているクライエントさんも多くいらっしゃいます。私はその姿勢を素晴らしいなって思っています。

仏教では「諦める」ということは、諦めるとは、「明らかに見る」という意味があります。自分の現状を色眼鏡なしに見つめ、「できないことは人に頼む」という選択ができる人は、まさに「正見」を持っている人だと思うからです。

すこし、厳しい言い方になってしまうかもしれませんが、何年も同じことで悩んで動けなくなっている人というのは、その悩みの解決方法がわからない、もしくは自分の気持ちがよくわからないという壁にぶち当たっているはずです。そこから抜け出したいと、今まで試行錯誤やっていきてずっと解決できていないのなら、もう「自分の力だけでは及ばないんだ」という事実に気付き、握っているものを手放し、他力を借りていくというステージに行く必要があることに気付く必要があるのです。

私自身も、できないことは人に頼みます。すぐに万歳しちゃいます。
そうすることで、自分の時間をより豊かになり、願望を実現できるからです。

豊かさとは、外側の条件ではなく、 「自分の時間をどう扱うか」という内側の姿勢から生まれるものだと感じています。

あなたは、どんなときに「豊かだな」と感じますか。 よかったら、教えてくださいね。

では今日も素敵な一日を。

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